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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)2249号 判決 1964年3月30日

原告 第二一九三号事件 五十嵐大之助

第二二四九号事件 馬場みつ

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外三名

主文

(甲事件関係)

1、被告は原告五十嵐大之助に対し東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番の一宅地二八坪三合一勺のうち別紙図面縦線部分の一坪三合一勺につき所有権移転登記手続をし、かつ金七五〇円六六銭およびこれに対する昭和三七年四月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告五十嵐大之助のその余の請求を棄却する。

(乙事件関係)

1、被告は原告馬場みつに対し前同土地のうち別紙図面斜線部分の三坪八合五勺につき所有権移転登記手続をし、かつ金三、二八六円一三銭およびこれに対する昭和三七年六月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、原告馬場みつのその余の請求を棄却する。

(訴訟費用)

甲乙両事件とも原告等に生じた費用の二分の一を被告の負担とし、その余は各自の負担とする。

(仮執行宣言)

被告に各金員の支払を命じる部分は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(甲事件原告)

1、被告は甲事件原告に対し東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番の一宅地二八坪三合一勺のうち別紙図面縦線部分一坪三合一勺につき所有権移転登記手続をし、かつ金二、九三八、七九一円及びこれに対する昭和三七年四月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3、金員の支払を命ずる部分は仮に執行することができる。

(乙事件原告)

1、被告は乙事件原告に対し前同土地のうち別紙図面斜線部分三坪八合五勺につき所有権移転登記手続をし、かつ金三、〇二四、七八八円及びこれに対する昭和三七年六月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3、金員の支払を命ずる部分は仮に執行することができる。

(両事件被告)

1、各原告の請求をいずれも棄却する。

2、訴訟費用は各原告の負担とする。

第二、甲事件原告、乙事件原告の主張

(両事件の請求原因)

一(一)、甲事件原告は昭和二六年九月二六日被告から左記甲建物の敷地二五坪六合九勺(本件甲敷地と呼ぶ)を代金一〇、七九〇円で買い受ける契約(売払契約)を締結した。

甲建物の表示

東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番地

家屋番号同町三五四番

一、木造トタン葺平家建居宅一棟

建坪 一〇坪四合一勺

(二)、乙事件原告は前同日被告から左記乙建物の敷地二九坪六勺(本件乙敷地と呼ぶ)を代金一二、二〇五円で買い受ける契約(売払契約)を締結した。

乙建物の表示

東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番地

家屋番号 同町三五二番

一、木造瓦葺二階建居宅一棟

建坪 一二坪八合三勺

二階 六坪

二、右買受の経緯は、次のとおりである。

訴外増田一矩は昭和二二年八月五日財産税納付のためその所有に係る左記物納土地を被告に物納したので、被告は同土地上に建物を所有する者にこれを払下げる方針をとつていたところ、甲事件原告は昭和二五年一一月一三日頃訴外中村ヒサからその所有に係る甲建物をまた乙事件原告は昭和二四年五月頃同訴外人からその所有に係る乙建物をそれぞれ買い受けたので被告代理人(大蔵省指定国有財産処分業務取扱業者)の訴外都不動産株式会社から各建物の敷地の買取方をそれぞれ要請され前記各売払契約を締結したものである。

物納土地の表示(分筆前)

東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番地

一、宅地 五九三坪五合三勺

三、ところが増田一矩は甲乙各事件被告を相手方とし東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第一、五九五号土地所有権確認請求を提起し、昭和三六年一一月二四日全部勝訴の判決があり、同判決はそのまま同年一二月八日確定した。

右確定判決の結果、甲事件原告と増田一矩との間では、本件甲敷地二五坪六合九勺のうち別紙図面縦線部分(現在東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番の一宅地二八坪三合一勺と表示される土地のうち一坪三合一勺)のみが物納土地に属するもので、その余の二四坪三合八勺(本件甲係争部分と呼ぶ)は物納外の三四九番の一に属し、依然として増田一矩の所有であること、また乙事件原告と、同訴外人との間では、本件乙敷地二九坪六勺のうち別紙図面斜線部分(現在は前同番の一宅地二八坪三合八勺と表示される土地のうち三坪八合五勺)のみが物納土地に属するものでその余の二五坪二合一勺(本件乙係争部分と呼ぶ)は物納外の右土地に同じく属し依然として右訴外人の所有であることがそれぞれ確定した。(以下右判決によつて増田の所有する三四九番の一に属することが確認された土地の範囲を係争土地と呼ぶ)

四、それゆえ被告は、本件甲敷地のうち本件縦線部分については甲事件原告に、本件乙敷地のうち本件斜線部分については乙事件原告にそれぞれ適法に所有権を譲渡したものであるが、右各敷地のうちその余の各係争部分については他人の土地の売主として当該原告に所有権を取得させるべき義務があるところ、その義務は結局履行不能となつた。

五、したがつて被告は、本件各係争部分について他人の物の売主として当該原告が所有権を取得できなかつたことに因り蒙つた損害の賠償および当該原告が右土地の買受に伴つて被告に交付した金員に相当する利得の返還をなすべき義務があるところ、原告等の損害および返還請求の内訳は次のとおりである。

(一)、甲事件原告合計二、九三八、七九一円(ただし(ロ)は不当利得損害請求として)

(イ)、金二、四三八、〇〇〇円(本件甲係争部分の取得不能に因る時価相当の損害金)

(ロ)、金七九一円(甲事件原告が昭和二七年九月一〇日被告に支払つた本件甲敷地の売買発効までの土地使用料に相当する被告の利得金)

(ハ)、金五〇〇、〇〇〇円(慰藉料、すなわち甲建物の敷地の殆んどを取得することができなくなり、甲建物の増改築計画が挫折したことおよび増田との間であらためて借地権の設定につき折衝しなければならなくなつたことに因る精神的苦痛を慰藉するに要する金額)

(二)、乙事件原告の損害合計三、〇二四、七八八円(ただし(ロ)、(ハ)は不当利得損害請求として)

(イ)、金二、五二一、〇〇〇円(取得不能部分二五坪二合一勺の時価相当額)

(ロ)、金三、四七〇円(乙事件原告が昭和三一年八月三〇日被告に支払つた売買前の土地使用料に相当する被告の利得金)

(ハ)、金三一八円(乙事件原告が昭和三二年一二月二日被告に支払つた売買代金の遅延利息に相当する被告の利得金)

(ニ)、金五〇〇、〇〇〇円(慰藉料、すなわち乙事件原告が被告の要請もあつて乏しい資金を工面して売買代金を完済したにもかゝわらず乙建物の敷地を取得できなかつたのみならず、もし、地主増田一矩が借地権の設定に応じないときは建物を収去しなければならなくなつたことに因る精神的苦痛を慰藉するに要する金額)

六、(一)、なお他人の物の売主は、目的物が自己の所有に属しなかつたため権利の移転を履行できなかつたことに過失があるときは、善意の買主に対して履行に代るべき填補賠償の義務があるものというべきであり、その損害の算定時点は前記東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第一、五九五号事件の判決が確定した時である。

(二)、而して被告が本件甲乙係争部分の所有権の移転できなかつたことについて次のような過失がある。すなわち、

(イ)、本件甲乙係争部分が物納土地に属していないことは公図を参照して現地を見分すれば水路敷の屈曲点の位置等から容易に判明するところであるのに、これに気付かなかつたとすれば公図すら調査しなかつたものとみられる。

(ロ)、増田一矩と被告との間の前記東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第一、五九五号事件において、被告は仮定抗弁として、本件甲乙係争部分等の時効取得を主張しながら、被告の代理占有者に該当する中村ヒサとの間の代理占有関係について裁判所の釈明にもかかわらずなんら具体的な事実関係の主張をせず、かつ敗訴判決に対し控訴もせず確定させてしまつたが、これは被告の主張の如何によつては被告の時効取得の可能性もあつたのに、自らこれを断ち切つたものであるから過失というべきである。

(ハ)、仮に右の場合被告と中村ヒサとの間に訴訟で主張できるような具体的な代理占有関係がなかつたとすれば、そのこと自体被告が国有財産の管理義務を怠つていたもので、そのため時効取得の機会を失い、ひいて原告等に甲乙係争部分を取得させる可能性を失つたものである。

(三)、また原告等が蒙つた打撃は、本件各売払手続を担当した被告の係官の言を信じ一〇年にも及ぶ間、本件甲乙敷地全部を完全に取得できるものと思つていたところ、それが不可能になり、今日においては増田一矩から土地の時価の四割に相当する権利金坪当り四万円を要求され、これに応じないときは賃貸借に応じないと言明されるに至つた。しかし原告等にはこのような巨額の権利金を支払う資力はなく、もし当初から甲乙係争部分を取得できないことが判つていたなら、原告等はその当時の低廉な地価を基準に借地権を取得できた筈であるから、本件売払契約によつて原告等が物質的にも精神的にも著しい打撃を受けていることは明らかである。

七、よつて被告は、甲事件原告に対し別紙図面縦線部分の土地の、また乙事件原告に対し同斜線部分の土地の各所有権移転登記をなし、かつ、売主担保責任に基づく損害賠償義務および不当利得を原因とする返還義務として、甲事件原告に対しては第五項(一)の金員とこれに対する訴状送達の翌日である昭和三七年四月二日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の、乙事件原告に対しては同項(二)の金員とこれに対する訴状送達の翌日である昭和三七年六月二五日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。

(抗弁の認否)

1、要素の錯誤があつたとの主張は否認する。

2、原始的不能を目的とする無効な契約であるとの主張は争う。

3、本件各売払契約の解除の意思表示があつたことは認めるが、その効力は争う。被告は民法第五六二条によつて解除すると主張するもののようであるが、本件は民法第五六三条に該当するものであるから主張自体失当である。

(再抗弁)

仮に本件各売払契約に要素の錯誤が認められるとしても、被告には重大な過失があつたから無効を主張できない。

すなわち請求原因六で指摘したように本件各係争部分が物納土地に属するか否かは公図を見れば一目瞭然であるのに、公図さえ調査しないで売払契約を締結させたことは、被告の方から売払の話を原告等にもちかけてきたことを合わせ考えれば、たとえ各係争部分が被告の所有に帰したと信じたとしても、自己の所有に属しないことを知らなかつたことに重大な過失があつたものというべきである。

第三、被告の主張

(両事件請求原因の認否)

1、請求原因一の各事実は認める。

2、同二の事実のうち、被告が原告等に本件各敷地の買取を要請したとの点訴外都不動産株式会社が本件各敷地の売却について被告の代理人であつた点は否認し、その余の事実は認める。本件各敷地は各原告から訴外都不動産株式会社を通じて被告の事務担当機関である関東財務局新宿出張所へ売払方を申請してきたので被告がこれに応じたにすぎない。

3、同三の事実は認める。

4、同四の事実のうち、被告に本件各係争部分の所有権を当該原告に取得させる義務があることは後記抗弁のとおり争い、その余の事実は認める。

5、同五の事実のうち、(一)の(ロ)の金員を受領したこと、および(二)の(ロ)、(ハ)の各金員を受領したことは認めるがその余の事実は否認する。本件各売払契約は二箇の権利すなわち三五〇番と三四九番の一の各土地の一部を目的とする契約であるから、売買の目的たる権利の一部が他人に属する場合に該らない。

6、同六の事実のうち被告において売主としての過失があるとの点は否認する。

本件各係争部分が物納土地に属しているか否かは、先ずもつて物納者である増田一矩が最も良く知つているべき筈である。しかるに増田は本件甲、乙敷地をいずれも三五〇番の宅地の一部として原告等に賃貸してきたもので、現に昭和二二年頃原告五十嵐の前主中村ヒサに対しても「あの土地は物納した土地だから地代を受け取るわけにいかない」と言明し、以後の賃料を受領しなかつたし、本件甲、乙建物の敷地はいずれも三五〇番の宅地上に存在するものとして原告等も表札にその旨表示し、町内の案内図もそのように表示してあつた。これを土地の現況についてみても、本件各係争部分は、三四九番の土地とは相当の幅員の道路(私道)を隔てており三五〇番の宅地と一体をなす外観を呈していたので、増田一矩でさえ昭和三一年一〇月四日頃までは物納土地(三五〇番地)と物納外の三四九番の一の土地との境界が右私道であることを確認していた。しかも原告等は本件甲、乙敷地の売払申請をするについて、自ら本件係争部分が物納土地に属する旨の公図写を添附した申請書を提出した。

このように本件物納および売払当時の関係者は全員甲乙係争部分が物納土地に属しているものと信じていたから、被告がこれを信じて売払申請に応じたのは無理からぬところである。

本件に関する公図を見ても必ずしも右の認識が誤りであることを知るのは容易であるとは言えず、公図はもちろん一般に公簿上の地積の表示が現況実測と一致しないのは珍しくないことであるから、もとの所有者を含む関係者に異論がない以上は、これに従うのがむしろ正当である。

本件各係争部分が三四九番の一の土地に属することは、原告等主張の増田一矩との間の別件訴訟で三四九番の一全体を実測し物納された三五〇番の土地との面積比から判決によつて漸く確認できたものであり、このような精密な調査とくに周辺の土地との実測対比まですべき義務が当然に売主に要求されているものとは解されない。したがつて被告の事務担当機関である関東財務局係官が本件各係争部分を物納土地に属すると考えたことに過失はない。

(抗弁)

一、本件甲、乙敷地の各売払契約には、いずれも要素の錯誤があつたから無効である。

すなわち本件甲、乙各係争部分は物納土地の一部であり被告が正当に所有権を取得したと信じたからこそ被告の事務担当機関である関東財務局新宿出張所係官も原告等物納土地の売払申請に応じたものである。それゆえ右係争部分が真実は物納土地に属せず増田一矩の所有である以上は、被告に本件各売払契約の要素に錯誤があつたものであり、右各契約は無効なものである。

二、のみならず一般に国が他人の所有土地を第三者に売渡す契約を締結するようなことは財政会計法規上まつたく予想されていないことであり、斯る契約は原始的不能を目的とする無効なものである。

三、仮に有効であるとしても、本件各売払契約は被告の責に帰すべからざる事由で当初から履行不能なものであるから被告は関東財務局長を通じて、甲事件原告に対しては昭和三七年五月三〇日到達の書面で、乙事件原告に対しては同年七月六日到達の書面でそれぞれ当該売払契約を解除する旨の意思表示をした。

(再抗弁の認否)

請求原因の認否6で述べたように被告が本件各係争部分を取得したと信じたことは過失はない。

第四、証拠関係<省略>

理由

(争いのない事実)

請求原因一ないし四の事実は、本件甲乙敷地の各売払契約の締結を原被告のいずれが先に申入れたか、訴外都不動産株式会社が被告の代理人であつたか、および右売払契約によつて被告に生じる義務がどのようなものかの三点を除けば当事者間に争いがない。そこで原告等主張の損害の当否を検討するに先立つて、被告の契約無効又は解除の抗弁について判断する。

(要素の錯誤と担保責任その他)

一、被告は抗弁一のとおり本件各売払契約の要素に錯誤があつたから同契約は無効であると主張する。

しかし民法第五六〇条ないし第五六三条が売買の目的たる権利が売主に属していないことを売主自ら知ると否とにかかわらずその契約を有効なものとし、売主の法定担保責任によつてその後の法律関係を清算せしめようとする趣旨であることに照らせば、たとえ売主に目的たる権利が自己に帰属していないことを知つていたならば売買契約を締結しなかつたであろうと認められる事情があつても、斯る点の錯誤を理由に右の担保責任を免れることはできないものと解するのが正当であり、そうであれば売主の目的たる権利の帰属に関する錯誤は売買契約の効力を左右しないものといわなければならない。被告の抗弁一は主張自体理由がない。

二、このことは国有財産の譲渡契約においてもなんら異るところはなく、財政会計法規上、国が他人の物を売却する例が予想されていないからといつて、本件各売払契約に民法第五六〇条以下の売主の担保責任等に関する規定の適用を妨げる事由とはならない。被告の抗弁二も主張自体失当である。

三、被告は抗弁三のとおり契約を解除したと主張するけれども、前記争いのない事実によれば本件は売買の目的たる権利の一部が売主に属していなかつたため移転不能となつた場合であるから、民法第五六三条によるべく、そうであれば売主である被告にその主張のような解除権を生ずべき根拠はない。もつとも、被告は本件売買(売払)の目的たる権利は物納土地に属する土地(現三五〇番の一の一部)と訴外増田一矩の所有する三四九番の一の土地の一部(甲、乙係争部分)の二箇の土地所有権であるから、民法第五六三条にいう権利の一部が他人に属する場合に該当しないと争つているので、これからみれば民法第五六二条一項による解除権の行使を主張するものとも解せられないではないが、そうだとしても右抗弁は失当である。なるほど前記当事者間に争いがない事実によれば、本件各売払契約は本件甲、乙敷地の売却をそれぞれの目的とするものであるところ甲敷地は物納により被告の所有となつた三五〇番の土地の一部(すなわち本件縦線部分)と物納されてない三四九番の一の土地の一部(すなわち増田の所有である本件甲係争部分)とからなつており、同様に乙敷地も二箇の部分からなり所有者および地番を異にしていることは被告の主張するとおりであるから、客観的には二箇の権利が売買の目的となつていることは疑う余地がない。しかし民法第五六三条は一項ですべての買主に代金減額請求権という形で契約の一部解除権を与え反面で契約全部の解除をするには同条二項で一定の制限を設けており、契約の全部解除のみを規定する同法第五六一条、第五六二条との間には著しい差異があるところ、この差異は、前者が履行不能な部分は売主の給付義務の一部にすぎないものであるのに対し、後者は全給付が履行不能である場合の規定であるからにほかならない。と解せられる。そうであれば民法第五六三条の適用は単一の権利の一部が他人に属する場合のみに限定せず、数箇の権利を一括して売買の目的を定めたところそのうち若干の権利が他人に属するものであつたためこれが買主に移転できない場合にもなお適用されるものと解するのが正当である。(その余の権利は買主に移転できるのに、売主が一部の権利の移転不能を理由に契約を全部解除できるとする合理的な根拠はない)それゆえ本件各売払契約の場合にも民法第五六三条の適用があることを肯定すべきであり、被告が同法第五六二条を理由とする解除権の行使を主張したとしても主張自体失当である。

(他人の物の売主の損害賠償義務)

一、前記当事者間に争いがない事実によると、被告は、甲事件原告に対しては本件甲敷地のうち甲係争部分の、また乙事件原告に対しては本件乙敷地のうち乙係争部分の各所有権を移転できなかつたものである。

原告等は、被告において右各係争部分が自己の所有でないことを知らなかつたことに過失があるから、民法第五六三条の下でもいわゆる履行利益に相当する損害賠償をなすべき義務があると主張し、右各係争部分の本訴請求当時における時価相当額の損害賠償を請求する。

二、(一)、思うに民法第五六三条三項の損害賠償請求権は買主が善意であるときに限つて認められるものであることに照らせば、ここにいう損害賠償請求は買主の善意すなわち売買の目的たる権利の一部が売主に属しないことを知らなかつたことすなわち売主が無権利者であることを知らなかつたため権利の移転が不可能であることを予知しなかつたことから買主に生じた損害を回復させることを目的とするものであり、そうであれば、売主が無権利者であるため権利の移転が不可能であることをもし買主が予知できたならば免れ得たであろう損害の補填をなすべき義務まで売主に課したものと解するのが相当である。

このような範囲で認められる買主の損害をいま仮に信頼利益と呼ぶならば、斯る信頼利益の賠償については、売主は善意無過失の故をもつてその義務を免れることはできないものと解するのが正当であり、この範囲では売主の担保責任は無過失責任とみるべきである。

(二)、しかし少くとも他人の物の売買に関しては、売主は売買の目的たる権利を取得して買主に移転すべき義務を負うものであるから(民法第五六〇条)、その履行不能が売主の責に帰すべき事由に因るものであるときは、売主は債務不履行の一般原則にしたがい買主に生じた損害のすべて(履行に代る損害)を賠償すべき義務を負うものと解するのが正当である。とすればこのような観点から補填されるべき買主の損害を履行利益と呼ぶならば、斯る履行利益の賠償については売主の方でその履行不能が自己の責に帰し得ない事由に基くものであること、具体的にいえば売買契約の時において目的たる権利の全部または一部が自己に属していないことを知らなかつたことに取引の通念上要求される注意義務に照らしても過失がないことおよび当該権利を移転できなかつたことに過失がないことを立証してその義務を免れ得るものと解するのが相当である。

右に説示した限りでは他人の物の売主の損害賠償義務は過失責任と解せられるので、この見地から次に被告に履行利益の賠償義務があるか否かを検討する。

(履行利益の賠償責任)

(一)、成立に争いない甲第一号証(添附図面とも)、乙第一、二号証、第四、五号証、第九、一〇号証、第一一号証の一ないし三、証人増田トヨの証言と弁論の全趣旨を総合して真正に成立したと認める乙第一二号証、同上証言により真正に成立したと認める乙第一三号証、証人川端留吉、同高岡勇の各証言および原告等各本人尋問の結果を総合すると、

(イ)、訴外大高喜源司は大正年間に当時物納土地およびその北側の三四九番の一等の所有者であつた訴外増田庄蔵(増田一矩の祖父)から東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番の土地(表示は物納土地と同一)として、物納土地およびその北側三四九番の一の一部(本件甲・乙係争部分が含まれる)を賃借し、昭和八年頃右賃借権を同土地上の甲建物等と共に訴外中村ヒサ(中村俊亀知の母)に譲渡したこと、中村ヒサは遅くも昭和二二年頃までに右三四九番の一の一部の土地上に乙建物を所有するに至つたこと

(ロ)、訴外増田一矩は昭和二二年八月五日国に財産税の物納として三五〇番の土地五九三坪五合三勺を登記簿上の表示に従い物納したが(この事実は争いない)その当時は、前示三四九番の一の一部すなわち係争土地まで中村ヒサが三五〇番の土地として賃借中であつたため、増田一矩、国および中村ヒサは勿論、同女から右地上の甲、乙各建物を賃借中の者も、係争土地が物納土地に属するものと誤認していたこと

(ハ)、このような誤認は、前記(イ)の賃貸借契約の経緯に基因するのみならず、物納土地と三四九番の一の土地との間の境界石は容易には判明せずかつ他に明確な地上標識等を認め難く、かえつて両土地の真正な境界線から北側すなわち三四九番の一の土地内へ約四間入つたところを真正な境界線とほぼ平行に幅二間の私道が走つていたこと、および三四九番の一のうちこの私道から南側の部分(係争土地に該当する)は中村ヒサの賃借地として同女が甲乙建物の敷地の一部として永年利用してきたことにも原因があつたこと、

(ニ)、ところが昭和二六、二七年頃になつて増田一矩の母が地代と賃貸面積とが合致しないことに不審を抱き昭和三五年九月二二日物納土地と分筆前三四九番の土地とを実測させた結果、両土地の境界は前示の私道南縁ではなくもつと南側にあることが判明し、調査の結果、境界石と考えられる石一個を発見し、結局東京地方裁判所昭和三五年(ワ)第一、五九五号事件の判決(昭和三六年一一月二四日言渡)で確定した境界線が真正であることを知り得たこと(この判決の内容および確定については争いがない)

(ホ)、原告五十嵐は昭和二五年二月一五日(登記は同月一七日)甲建物を、原告馬場は同年一〇月二五日(登記は同月三〇日)乙建物をそれぞれ中村ヒサから買受け、居住していたので(居住したのはその以前)物納土地を土地の縁故者に優先払下しようとする被告の方針に基づいて、いずれも昭和二六年四月初に大蔵大臣に対し売払申請をしたが、原告等もまた本件甲・乙係争部分を含む係争土地が増田の所有地の一部とは知らず、いずれも物納土地に属するものと信じていたこと

がそれぞれ認定でき、これを覆すような証拠はない。

(二)、右の事実によれば物納者である増田一矩をはじめとし、本件甲乙各係争部分の賃借人等もすべて右土地が物納土地に属するものと誤認していたことは明らかであり、このような誤認をもつともならしめるような前記(ロ)、(ハ)の事実が存在していたわけであるから、物納を許可した被告がその結果として右各係争部分の所有権もまた自己に帰属したものと信じたことには責められるべき過失はないものといわなければならない。

(三)、原告等は少くとも売払の際に公図を調査すれば本件甲乙係争部分が物納土地に属していないことは容易に判明した筈であると争うけれども、本件各売払手続に際して被告の担当係官が原告等の提出した売払申請書添附の実測図および公図(位置図)写に従つて実地見分を行つたことは証人川端留吉の証言によつて認め得るところである。

そして右の各実測図である前顕乙第二号証、第五号証の各一部をもつてしては、本件各係争部分が物納土地の一部であるか否かは全く不明であり、僅にいわゆる公図(土地台帳附属の位置図)である前顕乙第九号証と前記(二)のような経緯で昭和三五年に増田が作成させた物納土地および旧三四九番の土地の実測図である前顕乙第一二号証とを対比するときは、経界と誤認された前示私道の南縁が公図上の地番界より若干北に偏していることを水路敷の屈曲点との位置関係から知り得ないわけではないけれども。(原告等の提出した前掲実測図(売払申請書添附)をもつてしてはこの事実を知ることはできない)公図のみをもつてしては前記(一)の(二)の判決で確定された線が真の経界であることを知るのは必ずしも容易ではない。すなわち前顕甲第一号証、乙第一、二号証と証人増田トヨの証言ならびに前記(一)の(二)に認定したところを総合すれば、物納土地と分筆前三四九番(分筆後同番の一ないし四)の双方の登記簿上の面積比と前記私道の南縁を経界とした場合の実測面積比とを対照し、その著しい不均衡から右が真実の経界線でないことを知り、現地において調査した結果、それまで気付かなかつたところの境界石と認められる標識一個を発見し(他端には斯る境界石を見出し得なかつた)はじめて真の経界線を推測する手懸りをつかんだものであり、これに基く推定境界が双方の土地の実測面積比と登記簿上の面積比を対比させた場合にさほど不均衡はないことから前示判決で真実の経界線と認定されたのであつて、同判決でも右の結果が公図の示すところと「ほぼ合致する」とせられたまでであること、(それでも旧三四九番の土地および物納土地の各実測面積は登記簿上の面積より大きいこと)が認められる。それに公図とはいつても現行のそれは土地台帳附属の位置図にすぎずとうてい細部まで精密、正確であることは期し難く、現地の地形との照合は必ずしも容易でないことは当裁判所に職務上顕著なところである。

しかも本件の場合は前記(一)の(ロ)、(ハ)のように境界の誤認を生み出す特殊な事情があり、原告等を含む関係者が悉く係争土地を物納土地の一部と信じていたのであるから、被告の担当係官が公図よりも所有者、賃借人、居住者等の言動に信をおいたとしても無理からぬ事情があるものというべく、そうであれば、本件売払に際して被告の担当係官が公図に基く現地確認の手続に厳密さを欠くところがなかつたわけではないけれども、取引の通念に照らし被告の物納土地の範囲に関する誤信は、被告の責に帰すべからざる事由によるものと認めるのが妥当である。(むしろ原告等こそ現地に居住し、家屋の所有者ともなつたのであるから、公図の写や実測図を添えて売払申請手続を進める際に斯る誤認に気付く機会は多かつたわけであり、それにもかかわらず気付かなかつたというのであるから、これからみても被告の誤信について責任を問うことは、他人の物の売主に必要以上の注意義務を要求しているものといわなければならない。)

(四)、さらに原告等は被告が前訴において時効取得の主張をしかつ裁判所から釈明されながら代理占有関係の主張を具体的にしなかつたことに過失があると主張するけれども、前顕甲第一号証、乙第一一号証の二、三および証人増田トヨの証言と原告等各本人尋問の結果を総合すると、被告と中村ヒサとの間には前訴の審理中に裁判所が釈明したところに応ずるような具体的な代理占有関係を裏付ける権利義務関係がなかつたことが窺われるから、前訴において被告が裁判所の釈明に応じなかつたからといつて、時効取得が認められなかつたことに被告の過失はないものとみるのが相当である。(これに反する証拠はない。)

また原告等は被告が中村ヒサとの間に具体的な代理占有関係を成立させなかつたとすれば、そのこと自体が原告等との関係で過失によつて権利の取得を不可能ならしめたことになると主張するけれども、原告等の所論は本件各売払契約の締結前の事情を云為するものであり、それが被告内部での行政上の責任を生じることはあつても原告等に対する関係で損害賠償義務を左右するような事由に該らないものというべきであり主張自体失当である。

(五)、以上のとおり判断されるから被告には履行利益の損害賠償債務はないものと認められる。

(信頼利益の損害)

一、原告等が損害として主張するもののうち填補賠償請求の点は認容できないこと前示のとおりであるけれども、履行利益といい信頼利益といつても訴訟物を異にするわけではないから、前者が認容されないときでも後者の算定の基礎となる事実が主張にあらわれているかぎりこれについて判断すべきものと解すべきところ、原告等の主張六の(三)の点は、本件甲乙係争部分が被告の所有でないことを知つていたならば当然、正当な所有者である増田一矩から、その当時の安い地価を基準に各係争部分を賃借することができたであろうのに、被告の所有と信じたばかりに斯る賃借権を取得する機会を逸したという趣旨に理解されるところ、もしそうであれば斯る損害もまたいわゆる信頼利益の一として補填されるべきものと解するのが妥当であるから、次にこの観点から原告等に損害賠償請求権が認められるか否かを検討する。

二、(一)、前節(一)の(イ)、(ホ)に認定したとおり、原告等はいずれも昭和二五年秋に中村ヒサから係争地上の甲、乙建物を譲受けたが、前顕乙第二号証、第五号証、証人高岡勇の証言とこれにより真正に成立したと認める乙第一五号証および原告等各本人尋問の結果を総合すれば、その際中村は原告等に対し甲乙建物の敷地は物納により被告の所有となつているから敷地の利用関係についてはいずれ被告から話がある筈であると説明を与えたこと、そこで原告等は被告からの沙汰を待ち、増田一矩とはなんらの交渉もせずまた交渉する意図もなかつたこと、被告からは遅くも昭和二六年春頃までの間に仲立人の訴外都不動産株式会社(被告の代理人ではない)を通じて甲乙建物の敷地を売払う方針であることが伝えられ、原告等に買受の意思があるか否かを打診されたこと、原告等は、第三者に買取られることを恐れ、代金分割払で売払に応じると答え、その結果本件各売払契約が締結されたことが認定でき反証はない。

(二)、右の事実に前節(一)で認定した事実を合わせて斟酌すると、原告等は中村ヒサの有していた借地権のうち甲乙建物の各敷地相当部分の借地権を譲受けたものであるが、真の所有者であり賃貸人である増田一矩の承諾を得ないかぎりこれを対抗できないわけであるから、もし甲乙係争部分が増田の所有であることを知つていたならば、その承諾を得るべく努力したことは明白であり、前顕乙第一一号証の三および証人増田トヨの証言に照らせば、原告等が相応の対価を支払うならば増田の承諾を得ることができたであろうことは推測するに難くないところである。

(三)、しかし、(一)に認定したように、原告等はいずれも、中村ヒサの言により被告との間の本件売払契約の締結に応じる以前から、係争土地したがつて本件甲乙係争部分が被告の所有であると誤信しており、そのためこれに関する賃借権の確保についても真の所有者、賃貸人である増田との間で折衝しようとする考などはもたず、もつぱら被告からの沙汰をまつていたものである。そうであれば被告との間の売払契約の締結が原告等の右の誤信を強めたことにはなつても、同契約の締結が増田との間で賃借権を確保しようとした原告等の企図を阻止ないし中絶せしめたものということはできない。むしろ右認定事実によれば、原告等が甲乙係争部分の真の所有者であり賃貸人である増田一矩から借地権の譲受についての承諾を得ようとしなかつた真の原因は、中村ヒサの言を信じまた原告等自身はもとより増田すら同所が物納土地に属するものと誤信していたことにあるのであつて、本件売払契約締結の結果ではないものとみるのが妥当である。

(四)、このように原告等が安い地価を基準に借地権を確保し得る機会(一の期待的利益である)を逸したことは、被告との間で本件売払契約を締結した結果ではなく、被告以外の第三者の言動によるものであり、原告等には右契約締結前すでに真の所有者を誤認し、したがつて真の所有者との間で借地権を確保しようと試みる余地がなかつたものというべく、たとえ原告等が善意の買主であつても、本件売払契約に対する信頼と原告等が逸した前記利益との間には相当因果関係はないものと解すべきであるから、結局その信頼利益の主張も理由がない。

(慰藉料請求の当否)

原告等は本件甲乙係争部分の所有権を取得できなかつたことに因る精神的苦痛に対する慰藉料を請求するけれども、すでに判断したように、本件の履行不能は被告の責に帰すべからざる事由に因るものであるから、被告に不法行為責任を肯定する余地はなくその余の主張事実を判断するまでもなく被告の過失を前提とする慰藉料請求は失当である。

(不当利得の返還請求)

一、原告五十嵐が甲敷地の使用料として金七九一円を昭和二七年九月一〇日、また原告馬場が乙敷地の使用料として金三、四七〇円を昭和三一年八月三〇日、売払代金の遅延利息として金三一八円を昭和三二年一二月二日それぞれ被告に支払つたことは当事者間に争いがない。

二、ところで被告が甲敷地(二五坪六合九勺)のうち甲係争部分(二四坪三合八勺)、乙敷地(二九坪六勺)のうち乙係争部分(二五坪二合一勺)の所有権を有せず、これを原告等に移転できなかつたことはすでに説示したとおりであるから、被告は甲乙係争部分については右土地使用料(成立に争いない甲第三号証の一第九号証の一によれば弁償金と表示されているから、一種の損害金と推認される)を取得できる正当な権原がなかつたことは明らかであり、また売払代金に対する遅延利息も履行不能の部分についてはこれを取得すべき正当な理由がないから、いずれも原告等に返還すべき筋合のものである。

三、そうであれば特段の事情も認められない本件では右遅延利息も含めて、被告が不当利得として返還すべき範囲は所有権の移転ができなかつた甲乙係争部分に相当するものであるから、按分比例によつて計算すれば、原告五十嵐に対しては土地使用料のうち金七五〇円六六銭、原告馬場に対しては同じく土地使用料のうち金三、〇一〇円二七銭と遅延利息のうち金二七五円八六銭となることは明らかである(厘以下切捨)。

したがつて原告五十嵐の請求は右七五〇円六六銭の限度で、原告馬場の請求は右合計三、二八六円一三銭の限度でそれぞれ理由があり、その余は格別の立証がないから失当である。

(所有権移転登記請求)

原告五十嵐は本件甲敷地のうち別紙図面縦線部分(東京都杉並区阿佐ケ谷四丁目三五〇番の一、宅地二八坪三合一勺のうち一坪三合一勺)を、原告馬場は本件乙敷地のうち同図面斜線部分(前同土地のうち三坪八合五勺)をそれぞれ被告から各売払契約によつて取得したことはすでに判断したところから明らかである。そうすると、右各土地について所有権移転登記を求める原告等の請求はいずれも理由があるからこれを認容すべきである。

(結論)

以上のとおり判断されるから、原告五十嵐の請求は所有権移転登記を求める部分および不当利得返還請求のうち金七五〇円六六銭とこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三七年四月二日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める限度で、また原告馬場の請求は所有権移転登記を求める部分および不当利得返還請求のうち金三二八六円一三銭とこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和三七年六月二五日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ認容することとし、その余の各請求を棄却すべきものである。

よつて訴訟費用につき民事訴訟法第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 滝田薫 山本和敏)

付近図(公図)<省略>

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